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  • 執筆者の写真ささラボ

【調査編】一夜限りの復活!地域に愛される中川運河まつり

更新日:2020年2月3日

――昨年10月末、ささラボ宛に一通のリクエストメールが届きました。


小倉橋から見る中川運河
【写真・小倉橋から見る中川運河】

 11月3日(日)、中川運河沿いの西宮神社(運河神社)でヴァイオリンコンサート等イベントが行われた後、夜には地元住民主導で実現した水上花火が予定されています。ぜひ取材に来てください。


 私たちささラボ取材班は早速コンタクトを取り、祭りの体験取材をさせていただくことになりました。前後編にわたり、取材を通して学んだ中川運河の知られざる魅力をお伝えしていきます!


◇地域の歴史ある祭りの復活「中川運河まつり」

 中川運河まつりは、昭和9年から戦時中の中断を挟んで昭和40年代まで行われ、地元に住む人々に親しまれた祭りです。

 当時の祭りの写真を、西宮神社氏子総代・林秀子さんが提供してくださりました。


昭和40年代の中川運河まつり
【写真・昭和40年代の中川運河まつり(西宮神社氏子総代・林秀子さん提供)】

 林さんをはじめ、今回開催にあたる方々の親世代が昭和期の中川運河まつりを担っていました。しかしながら近年の少子化によって跡を継ぐ者が少なくなり、やがて祭りはかつてのような規模では開催できなくなっていったそうです。それでも地域の人々は祭りの復活を願い続け、ついに今年一夜限りの復活を果たしました。


昭和40年代の中川運河まつり
【写真・昭和40年代の中川運河まつり(西宮神社氏子総代・林秀子さん提供)】

 今回の中川運河まつりは、広見学区運営委員会を主催として地元の学区ごとの住民を中心とした手作りのお祭りです。以前SNSで宣伝させていただいた祭りのチラシ(*URLはこちら!:@sasa.sanpo)も、もちろん地域の方による手作り。さらに、祭り開催には地元住民だけでなく、地元企業や私たちが通う愛知大学など周囲の協力や協賛が加わってこそ実現できたことも忘れてはなりません。


昭和40年代の中川運河まつり
【写真・昭和40年代の中川運河まつり(西宮神社氏子総代・林秀子さん提供)】

 祭りの見どころとなるメインプログラムは、「中川運河再生計画」の一環である「中川運河助成事業ARToC10」としてヴァイオリニストのビリアナ・ヴチコヴァ(Biliana Voutchkova)さんを招いた野外コンサート。そしてなんといっても、昭和39年以来の復活となる水上花火大会です。中川運河に浮かべた船から様々な花火が披露されます。

――この模様は後編にてお伝えします。


◇愛知大学と中川運河を繋ぐ「内山志保さん」

 今回の取材のキッカケとなったリクエストメールを送っていただいたのは、こちらの内山志保さんです。


中川運河を研究する内山志保さん
【写真・内山志保さん】

 主に中川運河についての研究をされており、実は10月から愛知大学三遠南進地域連携研究センターに赴任された方です。中川運河をテーマにした書籍の執筆や、以前記事に取り上げた「中川運河キャナルアート」などの各種イベントにも協力されていました。(*URLはこちら!:読めばあなたも街づくりにJoin! ~理事長が語る中川運河!!~

 また、中川運河まつりのヴァイオリンコンサートの運営にも関わっています。

 そこで内山さんご自身について、また中川運河についてインタビューさせていただきました。


Q:愛知大学に赴任されてから取り組む事、また具体的なプロジェクト等ありましたらお教えください。

A:私は、愛知大学が2019年に採択された文部科学省私立大学研究ブランディング事業の中で、ささしま地区のエリアマネジメント担当の研究助教として着任しました。ですので一般の教員とは少し違います。

 具体的なプロジェクトも事業に関わる複数の教職員の方々と一緒に進めていきますので、現時点で詳細なことは言えませんが、ささしまに立地している名古屋校舎を活用し、その価値を高めていけるように考えています。学生の皆さんの力も大いに期待しています。


Q:内山さんの学生時代の活動、取り組んでいた事は何ですか?

A:私が学部時代を過ごした2000年前後の大阪・神戸は、阪神大震災を経験した直後で、特定非営利活動促進法が成立したこともあり、ボランティア活動が盛んであったと思います。私も国際協力、環境、防災等様々なボランティア活動に参加しました。サークル活動とは違って、幅広い年齢層の方と接する貴重な機会であったと思います。


Q:中川運河を研究されるきっかけとなったのは何でしたか?

A:中川運河を知ったきっかけは、中川運河キャナルアートを通してです。はじめはイベントの観客として参加し、それから当日のボランティアとして、2012年のProjectNo.2では実行委員として参加していました。

 頻繁に通い、知識が増えると、どんどん空間としての面白さに気が付くようになり、修士論文のテーマとすることにしました。


Q:中川運河の研究から、今回の中川運河祭り開催に関わるようになった経緯は何でしたか?また、内山さんはお祭りにあたりどのような役割を務めたのか、できれば具体的にお願いします。

A:11月3日のヴァイオリンコンサートはクロスバウンダリーという6月から続く一連のコンサートシリーズの中の最終日だったのですが、助成金獲得のための企画から当日の運営まで主催団体の構成員の1人として関わっています。

 中川運河まつりに関しては、ご質問のような「役割」や「務める」という言葉に思い当たるようなことは、全くしていないです。そうであるにも関わらず、打ち上げには参加させていただきました。

 今回の中川運河まつり、様々な方面の力が合わさって実現したものだと思います。具体的なタスクになっていくのは最後のことであって、そこに至るには人々の信頼に基づく気運も必要です。そこに加わった1人ということだと思います。


Q:内山さんが考える中川運河の魅力とは?

A:頻繁に聞かれる質問ですが、友人の良いところを説明するようなもので、言葉にするといかにも空々しくなります。単に馬が合うとだけ言いたいところですが、あえて言うならば、人々が刻んできた歴史の真実味が、広々とした空と水面、鳥や緑によって清々しいものに転換されているところでしょうか。

 まだ訪れたことがない方は是非足を運んでみて欲しいです。その際、周辺住民や沿岸事業者など、「中川運河の隣人」の存在を肌で感じてほしいです。中川運河は人のために作られた場所ですので、人と切り離して考えることはできません。


愛知大学隣から見る中川運河
【写真・愛知大学隣から見る中川運河】

 最後に内山さんから読者の方、特に私たち愛知大学生に向けてコメントを頂きました。

 まだ着任して間もないので、学生さんとはあまり接点がないですが、とても真面目な印象を持っています。私が学生の頃とは時代が違いますが、失敗を恐れずにどんどんチャレンジして欲しいと思います。先が読めない時代だからこそ、とにかく一歩行動を起こしてみることの価値は高いのではないでしょうか。



編集後記

 実は私も、当初は大学の近くにも関わらず中川運河やその周辺の地域について知りませんでした。しかし、取材を通じて地域に住む方々と交流することで中川運河が地域から愛される大切な場所であることがわかりました。

 まずは、内山さんの言うように中川運河について知らない方は一度周辺地域を歩いてみて、親しみを感じて欲しいと思います。実際に訪れてみると気づくこと、興味を持てることがきっと見つかるはずです。

 また、内山さんの今後の活動で愛知大学と中川運河とのさらなる繋がりを持つこと、そしてこの記事を読む皆さんが少しでも中川運河やその周辺の地域を身近に親しむ機会が増えることを願っています。



【取材・執筆:ささラボ取材班 加藤】


 

 次回は中川運河まつりの体験レポートをお送りします。ぜひご覧ください!


【写真・準備中の会場(広見憩いの杜)を臨むささラボ取材班】
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