愛知県東三河に位置する都市、豊橋市。皆さんは豊橋市といえば、どんなことを連想するでしょうか?
最近はB級グルメの豊橋カレーうどんや「一目で義理とわかるチョコ」ブラックサンダーも名物として知られているのではないでしょうか。…もちろん、私たちの通う愛知大学のキャンパスがあることも忘れてはなりません。
近年、そんな豊橋市は“映画のまち”として市を挙げて様々な活動を行っています。今回は豊橋市の映画文化の歴史を追い、実際に参加した私自身の体験も踏まえながら“映画のまち“としての知られざる魅力を紹介しようと思います。
・映画のまちの原点 1950年代“日本映画の黄金時代“豊橋
【一般社団法人日本映画製作者連盟 『日本映画産業統計 過去データ一覧表』より作成】
時代は1950年代に遡ります。この頃の日本映画は、黒澤明監督作品『羅生門』(1950)をはじめに国際映画祭の選出・受賞により海外で評価され、翌年に公開した初の国産カラー映画『カルメン故郷に帰る』(1951)に代表される技術的な発展も続けていました。国内の観客動員数は1958年をピークに11.27億人、映画館の数は1960年をピークに7457館に達するといった背景によって“日本映画の黄金時代”と呼ばれています。
2018年夏、豊橋市民文化会館で開かれた企画展「絢爛!スターの時代 1950年代展」では、こうした当時の様子を残した写真や資料の多くが展示されていました。
“日本映画の黄金時代”の愛知県の映画館は300を超えており、豊橋市では県内第4位の最大12館もの映画館が存在していました(1960年頃)。再現マップを見ると、その多くが中心市街地の駅前エリアに位置していたことがわかります。
大手映画会社の系列館も複数存在し、当時の各社を代表するスターを模した手描き看板が設置されていました。今では見かけられない風景ですが、当時の人気が伺えます。
【『東京は恋人』『有難や節 あゝ有難や有難や』台本 所有:さささんぽ編集部 加藤】
さらに、豊橋市や周辺の東三河を舞台とする映画として『東京は恋人』(1958)※1、『風に逆らう流れ者』(1961)※2、『有難や節 あゝ有難や有難や』(1961)※3といった作品も誕生しました。
※1 地元出身の歌手・大津美子による同名の歌謡曲を基とし、大津美子本人も出演した映画。大々的に豊橋ロケが行われ、全国に先駆けて先行上映が行われたことが当時の地元新聞に取り上げられている。
※2 小林旭演じる風来坊が旅先で悪党と戦う「流れ者」シリーズ最終作。当時の西部劇に影響を受けた「無国籍映画(和製西部劇)」と称されるジャンルのアクション映画。本作では、豊橋市と蒲郡市が主な舞台となった。
※3 和田浩治・吉永小百合主演、守屋浩による流行歌『有難や節』を基にした映画。豊橋市の街並みのほか、豊川稲荷(豊川市)や岡崎城(岡崎市)、西浦温泉(蒲郡市)といった三河地方の観光地が登場する娯楽作品。
【『東京は恋人』関連資料 企画展「絢爛!スターの時代 1950年代展」にて撮影:さささんぽ編集部 加藤】
テレビの普及が現在ほど進んでいなかったこの頃、大きな影響を持つ映像メディアであった映画に豊橋市が登場することによって、市の観光プロモーションの役割も果たしていました。
現在の映画文化の原点は、こうした”日本映画の黄金時代”の歴史のうえに成り立っているのです。
【豊橋日活劇場『飢える魂』/『われは海の子』宣伝チラシ 所有:さささんぽ編集部 加藤】
・21世紀 新しい時代の”映画のまち”豊橋
【20年間でシネコンのスクリーン数は2000以上増加、従来型の映画館は1000近く減少している
一般社団法人日本映画製作者連盟『日本映画産業統計 過去データ一覧表』より作成】
”日本映画の黄金時代”の後、1960年代のテレビや1980年代のビデオなどの登場で映像メディアが多様化し、映画産業は衰退していきました。1990年代からはシネマコンプレックス(※複合スクリーンを有する大型の映画館…イオンシネマ、TOHOシネマズなど)が普及していきます。
2000年代から現在までの国内映画館数と観客動員数の推移をみると、動員数は2000~3000人をほぼ横ばい、総スクリーン数は20年で1000以上増加していることがわかります。しかし、その多くはシネマコンプレックスが占めており、シネコンが大きく増加する一方で従来型の中小映画館や単館系ミニシアターの割合(グラフの斜線部:総スクリーン数-シネコン)は年々減少しています。
1.豊橋の市民による市民のための「とよはしまちなかスロータウン映画祭」(2002~)
このような状況下で、豊橋市でも日本最大の18スクリーンを誇るAMCホリデイ・スクエア18(現、ユナイテッド・シネマ豊橋18)が設立した影響によって、2001年には以前から市内に存在した駅前エリアの映画館は全て閉館することとなりました。
翌2002年、豊橋青年会議所によって“豊橋のまちなかの活性化、地域文化の向上を図り、地域社会の発展に寄与することを目的として”(HPより)、「とよはしまちなかスロータウン映画祭」が開催されました。第1回映画祭では、前年に閉館した映画館を活用して、豊橋市が舞台となった『風に逆らう流れ者』(1961)をはじめに、『赤穂浪士』(1961)、『ニューシネマパラダイス』(1989)といった国内外問わず名作映画が上映されました。また、これらの上映には地元企業がそれぞれスポンサーとなって支援しています。
この企画が成功に終わったことで翌年の第2回以降から地元有志による実行委員会を立ち上げ、現在まで19年続く映画祭となって地域に愛されています。
2019年冬、穂の国とよはし芸術劇場PLATで行われた「とよはしまちなかスロータウン映画祭2019」にて、活動弁士※4の佐々木亜希子さんによる活弁付き『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(1932)+『豪勇ロイド』(1922)のほか『ゴジラ』(1954)、『アメリカングラフィティ』(1973)を観賞しました 。
※4 活動弁士…サイレント映画期に活躍した、上映中に映画の内容を解説する専任の解説者。映像に声を加えるという意味では、現代の声優やナレーターに近い。
その中でも現在はあまり見る機会のないサイレント映画の活弁は、映画本編の映像に合わせてリアルタイムで活動弁士の解説やセリフのアドリブが加わって面白さが増し、新鮮な映画体験でした。
【とよはしまちなかスロータウン映画祭2019前売りチケット 撮影:さささんぽ編集部 加藤】
2.郷土ゆかりの映画人・園子温監督
”映画のまち”として地域振興を行う他の地域の一例として、郷土ゆかりの映画人の存在があります。その代表的な例として、故郷の広島県尾道市を舞台にした”尾道三部作”を撮られ、昨年亡くなった大林宣彦監督がいらっしゃいます。
今でこそ豊橋市は”映画のまち”として市全体が活動をしていますが、それに先駆ける形で豊橋市とその周辺の東三河には、園子温監督が作品の舞台に選んで映画撮影のため積極的に訪れていました。
園子温さんは豊川市出身で、高校生活三年間を豊橋市内の高校で過ごしたのち映画監督になりました。監督として手掛けた『ちゃんと伝える』(2009)、『みんなエスパーだよ!』(2013)、『新宿スワン』(2015)、新しい地図(元SMAP)初主演作『クソ野郎と美しき世界』など作品の多くを豊橋・豊川市で撮影しています。2015年にはとよかわ広報大使、豊橋ふるさと大使に就任しました。
【『クソ野郎と美しき世界』ポスター 撮影:さささんぽ編集部 加藤】
3.フィルム・コミッションによる撮影支援「ほの国東三河ロケ応援団」(2008~)
豊橋市がロケ地として選ばれる理由の一つには、街並みにレトロな景色が残っていることが挙げられます。
駅前大通りから市街を東海エリア唯一の路面電車が走り、中心市街地には豊橋市公会堂、軍都としての役割を持っていたことから私たちにも関わりある愛知大学記念館(旧陸軍第十五師団司令部)といった戦時中の建物が現存することから、大正・昭和の時代を思わせています。昨年は昭和初期を舞台にしたNHKドラマ『エール』(2020)のロケ地にもなりました。
さらに豊橋ロケには、映画等の撮影場所誘致や撮影支援をする”フィルム・コミッション”の活動が大きく関わっています。2008年、愛知県三河広域観光協議会の事業として東三河の8市町村(豊橋市、豊川市、田原市、新城市、蒲郡市、設楽町、東栄町、豊根村)が連携してフィルム・コミッションとして活動する「ほの国東三河ロケ応援団」が立ち上げられました。過去には、園子温監督作品の他にもドラマ『ルーズヴェルト・ゲーム』(2014)『陸王』(2017)やCM『ポカリスエット エール編』(2016)なども、この誘致によって実現しました。加えて、撮影現場を支える重要なエキストラはこの活動に賛同する地元住民の方々が担っています。
2018年冬、ほの国東三河ロケ応援団と共に『クソ野郎と美しき世界』(2018)の撮影に三日間参加しました。豊橋ロケでは、主に悪役とその手下たちがヒロインを追いかけるシーンの撮影が行われました。私は手下役としてアーケード街の間を駆け抜けたり豊橋市役所近くの公園沿いを走る路面電車と並走したり、街中を丸一日走り回る大変な撮影でした。クランクアップ後には地元エキストラの方から名物の豊橋カレーうどんを御馳走になり、過去に参加したエキストラのお話などを聞きながら楽しい時間を過ごしました。
【『クソ野郎と美しき世界』豊橋ロケクランクアップ記念 集合写真】
4. 豊橋市の更なる魅力を発信「ええじゃないか映画祭」(2017~)
豊橋市役所シティプロモーション課では、豊橋市の更なる魅力を発信することを目的として「ええじゃないか豊橋」を合言葉にシティプロモーション推進活動を進めています。なかでも映画にかかわる事業として、2017年から「ええじゃないかとよはし映画祭」が発足しました。
この映画祭では園子温監督がディレクター、豊橋市出身の女優である松井玲奈さんがアンバサダーとなって、豊橋市に限らず愛知県出身の映画人達をゲストに招き、市内で撮影された作品やゲストにまつわる作品を特集しています。
2019年冬、穂の国とよはし芸術劇場PLATにて私が訪れた「ええじゃないかとよはし映画祭2019」オープニングセレモニーでは、豊橋ロケが行われた短編映画『家族マニュアル』と園子温監督の『クソ野郎と美しき世界』が上映されました。
上映前には出演者の方々が登壇してトークが行われ、急病のため欠席となった園子温監督はVTRで挨拶されました。トークでは、『クソ野郎と美しき世界』に出演し、園子温監督の助監督からキャリアをスタートさせた俳優の満島真之介さんが助監督時代の豊橋ロケでのエピソードや“映画のまち”として活動する現在の豊橋市に対する思いを語っていたのが印象に残っています。続く映画本編は、「こんな映像を撮っていたんだ」と完成した作品を初めて観て感動し、撮影中の出来事を思い返しながら楽しみました。
【ええじゃないかとよはし映画祭2019 オープニングセレモニー『家族マニュアル』『クソ野郎と美しき世界』前売りチケット 撮影:さささんぽ編集部 加藤】
・まとめ
“映画のまち”としての活動や知られざる魅力について、興味を持っていただけたでしょうか。このように豊橋市は、園子温監督のような郷土の映画人の存在やフィルム・コミッションによる積極的な撮影現場のサポート、その作品を発表する場の提供、そしてそれらの活動への地元の方々の協力、と街全体が一体となって“映画のまち”を作り上げて地域の映画文化を新しい時代に継承しています。
映画は戦後の時代に大衆娯楽として多くの人々が親しんできました。半世紀以上経ったいま、豊橋市に限らずご自身の地元や色々な地域に残る映画文化を調べ、そこでどんな活動が行われているのか見てみるのも面白いのではないかと思います。また、身近な人にも聞いてみて意外な発見が見つかるかもしれません。
新型コロナウィルスによって映画界にも多大な影響が起きています。未だ先の見えない状況ですが、再び映画を楽しめる日々が戻ってくることを切に願っております。その時には、ぜひ豊橋市の映画イベントにもお越しください。
【さささんぽ編集部 加藤】
【参考文献等】
1)『Ⅱ日本映画の一世紀:マキノ映画の時代~豊田市郷土資料館所蔵映画資料目録~』.豊田市教育委員会.1996.p10-13
2)『日本映画産業統計 過去データ一覧表』.一般社団法人日本映画製作者連盟.(http://www.eiren.org/toukei/data.html) 閲覧日:2020年7月31日
3)『グラフ・映画館現勢:映画年鑑 1961』.時事通信社.1961.p43-71
4)『グラフ・映画館現勢:映画年鑑 1962』.時事通信社.1962.p43-71
5)古田尚輝.『劇映画“空白の6年”(その1)』.成城文藝.2006(https://ci.nii.ac.jp/naid/110006556533) 閲覧日:2020年7月31日
6)『風に逆らう流れ者:日活映画1961年4月号』.日活株式会社事業部.1961.p3,6
7)『有難や節 あゝ有難や有難や:日活映画1961年5月号』.日活株式会社事業部.1961.p3,8
8)『愛知県|日活映画ロケ地マップ:日活』(https://www.nikkatsu.com/locationmap/detail/list.html?area=22) 閲覧日:2020年7月31日
9)『豊橋市民文化会館「絢爛!スターの時代 1950年代展」』.東三河新聞2018年8月2日号
10)『映画祭2002かスロータウン映画祭』.(https://www.slowtown.info/2002/) 閲覧日:2020年7月31日
11)『とよかわ広報大使-園子温氏の紹介:豊川市』.
12)『園子温監督と松井玲奈が……愛知・豊橋で映画祭を盛り上げる!:映画.com』.2016年8月1日.
(https://eiga.com/news/20160801/12/) 閲覧日:2020年7月31日
13)『映画・ドラマの舞台/豊橋市』(https://www.city.toyohashi.lg.jp/31356.htm) 閲覧日:2020年7月31日
14)『ええじゃないか豊橋 ロケ地マップ』.豊橋市シティプロモーション課.2019
15)穂の国東三河ロケ応援団.(http://www.honokuni.or.jp/ouen/) 閲覧日:2020年7月31日
16)松尾麻衣子『映画ロケ誘致、アニメ制作でまちはどう変わるのか―。岡崎市で「映画×まち」シンポジウム開催:LIFULL HOME’S』.2017.
(https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_00639/) 閲覧日:2020年8月1日
17)駒木伸比古『豊橋市中心市街地における市民主導型まちづくり活動の展開 −「とよはし都市型アートイベント sebone」を事例として−』.2016.地域政策学ジャーナル 第5巻 第2号
(http://ekidesign.info/archive/)
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