名古屋は2020年の東京オリンピック・パラリンピック、2027年のリニア中央新幹線の開通に向けて、ますます発展していきます。それに伴い、名駅の西側で新しい事業が行われるとのことなので、中村区役所の大倉総務課長と地域力推進室の平工室長にお話を伺いました。
太閤秀吉功路とは?
豊臣秀吉公の出世過程を追体験できる「太閤秀吉モニュメント」を道標に、観光客や市民に名古屋駅の西側から中村公園までを楽しみながら歩いてもらえる魅力を作り出す取り組みです。
このモニュメントは高さ約125cmで、秀吉公の生涯を描いた「絵本太閤記」の挿絵などをモチーフにしたレリーフが取り付けられます。また、QRコードが添付され、スマートフォンで読み込むが絵が動き出すアニメーションつきの解説を見ることができます。今年の2月に8基のモニュメントが設置されており、2021年には合計30基が完成する予定です。
なぜ秀吉公が題材になったのか?
名古屋には名古屋城や徳川美術館などがあり、多くの人々から徳川家康のイメージを持たれています。一方、中村区は秀吉公や、その家臣である加藤清正の生誕地です。これらは、地域の魅力と誇りになっていることから、戦国一の出世頭である秀吉公を活用する取り組みが行われることになりました。
※プチ解説「中村区と戦国武将」
【1537年(天文6)に秀吉公は尾張国愛知郡中村郷中中村(現在の中村区)で、足軽と伝えられる木下弥右衛門・なか(のちの大政所)の子として生まれたとされる。
また清正は、1562年(永禄5)に現在の妙行寺(みょうぎょうじ)の場所で生まれたとされる。彼の母親が秀吉公の母親と従姉妹の関係にあったため、清正は幼いころから秀吉公に仕えていた。】
中村区では、「尾張中村めし」開発事業の一環としてレシピコンテストが行われました。中村区ゆかりの食材を使い、中村区をイメージできることを条件にしたところ、秀吉公にちなんだ作品が大部分を占めました。このことから、中村区の方は秀吉公を誇りに感じているとされています。
また、名古屋には、信長が桶狭間の戦いの際に、清洲城から桶狭間へ走った道をたどって、スタンプラリーや開運祈願ができる「信長攻路」があることから、「秀吉公ゆかりの地である中村区でも何かできないか」という流れになりました。さらに、名古屋城改築の話が上がり、戦国武将を扱った事業への気運が高まったのも背景にあります。
太閤秀吉功路を訪れた際に一緒に行ってほしいおすすめの場所は?
中村公園には、豊国神社をはじめ常泉寺や妙行寺といった寺社や史跡「豊公誕生之地碑」、ひょうたん池など秀吉公ゆかりのものがたくさんあります。
また、中村公園へ続く参道の入口には高さ24.2mの大鳥居があり、参道には秀吉公ゆかりの武将案内板も設置されています。
ルートの周辺には商店街があります。そこにはレトロな銭湯や昔ながらの呉服店があり、独特で懐かしい雰囲気が漂っています。また、うどんやラーメン、カフェや和菓子などの食文化も充実しているので是非訪れて欲しいと思います。
太閤秀吉功路に期待する事は?
秀吉公好き、歴史好きな人だけではなく、多くの人に訪れて欲しいです。そのためには地域のお店や若者が一丸となって盛り上がってもらいたいと思います。
また秀吉公のグッズが増えると若者が立ち寄ってくれるかもと考えています。ひょうたんや桐の紋など、秀吉公に関するものでグッズ化できそうなものはたくさんありそうなので期待しています。昨年の11月から今年の1月にかけて太閤秀吉功路を盛り上げるためのワークショップが行われたので、これからも大学生の皆さんからの斬新なアイデアが欲しいですね。
※ワークショップ現在開催中 ささラボメンバーも参加 ワークショップの記事は5/28公開予定
【取材・執筆:ささラボ取材班 中森】
編集後記
今回の取材で、有名な武将である豊臣秀吉ゆかりの地が名駅西側にこんなにあるという事を初めて知りました。そこで太閤秀吉功路予定地の名駅西側を実際に歩いてみると、名古屋駅に近いのに、昔ながらのお店があったり、寺社があったりと、懐かしい雰囲気の町並みもあって驚きました。 そんな場所で秀吉公の歴史を辿ることができるのはとても素敵な事です。私も完成した際にはじっくりまち歩きをしたいと思います。取材に協力してくださった平工室長、大倉総務課長、ありがとうございました。
【取材・執筆:ささラボ取材班 中森】
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